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長野家庭裁判所松本支部 昭和42年(少)73号 決定 1967年3月11日

少年 S・R(昭三四・三・二〇生)

主文

この事件を長野県中央児童相談所長に送致する。

長野県中央児童相談所長は、この少年に対し、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うような強制的措置のとれる教護院に入所させることができる。ただし、その期間は、昭和四二年三月一一日から二年間を超えてはならない。

理由

一  事件送致の事由

昭和四二年二月二日長野県中央児童相談所長から、少年はてんかん性の精神障害があるうえ、低知能で、著明な病的性格者であり、火遊び、乱暴、徘徊等の行為が多く、少年に対し一刻も目をはなせない状態であつて、家庭は勿論、任意に出入りできる教護院における指導も不可能であり、また精神病院における治療も適切ではないので、少年を強制的措置のとり得る教護院に入所させる必要があるとして、少年法第六条第三項および児童福祉法第二七条の二により、本件事件送致がなされた。

二  当裁判所の調査および審判の結果次の事実が認められる。

(一)  少年は、昭和三九年四月長野県小県郡○○村立中央保育園に入園し、同園において窓ガラスを破つたり、遊び道具を独占したりして集団生活に適応できなかつたため、同年五月四日同園を退園させられ、その後昭和四〇年四月同村立○○小学校に入学し、同校において授業中教室の内外を歩きまわる等して落着いて学習をすることがなく、また同校の水道栓を開いて水を出したままにしたり、池の魚に石を投げつけたり、自転車の空気を無断で抜く等の行為を繰り返して行つたため、長野県中央児童相談所長の紹介より同年六月二三日松本市所在の医療法人城西病院精神科に入院し、同院においててんかん性精神障害の疑いの病名で治療を受け、昭和四一年六月一三日同院を退院し、同年七月一日長野県中央児童相談所長から養護施設入所の措置がとられ、岡谷市所在の養護施設つつじが丘学園に入園すると同時に長野県岡谷市立○○小学校へ転校し、同校において授業中教室内外を歩きまわつたり、他の生徒に対し噛みつく、殴打する等の暴行を加えたり、教材の時計の針をむしり取つたり、教員室からマッチを持ち出し、火遊びをする等の行為があつたので昭和四二年一月一〇日前記児童相談所長から措置変更により教護院入院の措置がとられ、長野県東筑摩郡波田村所在の波田学院に入院し、同学院において他の収容児童に対し、噛みつく等の暴行を加えたり、ゴム草履や雑巾を齧つたり、床をなめる等の行為をしたので、同月一二日再度前記城西病院精神科へ入院するようになり、同病院において情緒障害の疑い、てんかん性精神障害の疑いの病名で治療を受け、同月三一日同病院を退院し、現在に至つている。

(二)  少年は父S・S、母S子の次男として生まれ、姉K江、兄T、弟Mがある。父母は長野県小県郡○○村において農業に従事し、水田二反、畑約二〇〇坪を耕作しているが、昭和四一年三月二七日失火により住宅を焼失し、現在一〇畳間一室、六畳間二室の家を賃料月額五〇〇円で賃借して居住し、少年の姉、兄、弟を養育し、その生活は貧困を極め、少年に対する指導監督は全く期待できない状況にあり、父は、少年に対する適切な指導監督ができないから、国において適切な施設に少年を収容して、監護教育してもらいたい旨切に希望している。

(三)  少年の知能はかなり低く(I・Q六二、新制田中B式)、強度な情緒的欠陥を有し、その性格は社会性が極めて低く、自己中心的であるうえ、気分の易変性が強く、容易に短絡的な衝動的行為に移り易く、かつ少年は情緒障害の疑いおよびてんかん性精神障害の疑いがある。

三  そこで、少年の年齢および上記行動歴、環境、資質等諸般の事情を総合して考えると、少年に対してはもはや任意に出入りのできる教護院における教護では不充分であつて、強制的措置をとりうる教護院に収容し、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うのはやむを得ないと考えるので、この事件を長野県中央児童相談所長に送致し、同相談所長をして主文第二項記載の措置をとらせ、もつて少年の教護の万全を期するのが適切であると思料する。

よつて、本件許可の申請を相当と認め、少年法第二三条第一項、第一八条第二項、少年審判規則第二三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 小林真夫)

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